 
カザフスタンと日本の二カ国間関係
1991年12月28日 カザフスタンの独立に対し日本は国家承認をおこなう。
1992年1月26日 外交関係樹立
1997年2月在日カザフスタン共和国大使館開設。2007年4月18日よりカマルディノフ特命全権大使が就任。
1993年在カザフスタン日本大使館アルマティに開設。2005年アスタナに移転。2008年9月より夏井特命全権大使が就任。
政治協力
カザフスタンと日本間の政治対話は1992年5月の渡辺美智雄副総理兼外務大臣のカザフスタン訪問から始まった。
今後の両国関係発展の基礎となる重要なものとなったのは、1994年4月6日-9日と1999年12月5日-8日のナザルバエフ大統領の公式訪問であった。日本国首相と大統領は共同声明に署名し、日本とソ連の間で締結された条約の承認がおこなわれた。二度目の訪日の際には両国首脳間で友好関係を促進するための共同声明に署名。
1997年7月に橋本龍太郎首相が提唱した「シルクロード外交」の理念は次の3点の基本方針からなっている。1.豊富な資源や地政学的重要性から注目が高まっている中央アジア地域との関係強化2.中央アジア地域発展のための資源開発を含めた経済協力3.核拡散や民主化、安定化などの平和達成。
この理念を基に2002年4月「ボアオ・アジアフォーラム」で小泉純一郎首相は、エネルギー供給源として有望な中央アジア諸国とのエネルギー協力の推進を呼びかけた。
2002年12月トカエフ国務長官兼外務大臣が来日し、人材育成、インフラ整備、環境問題に関する日本の協力が決定した。
2004年8月川口外務大臣がカザフスタンへ公式訪問した。その中で直接投資を含む二国間経済発展のための投資環境の整備などを含めたパートナーシップと協力の更なる発展に関する共同発表が両国外相の間でおこなわれた。
また来訪の際に、アスタナにおいて中央アジア諸国の外務大臣とともに「中央アジア+日本」対話・第一回外相会合に参加。この対話は中央アジア地域の連帯と、中央アジア諸国と日本との協力を一層促進させる目的から提唱された。
2005年6月13日-16日愛知万博の開会式に出席するためカザフスタンのアフメトフ首相が来日。この訪問は2005年以降の二カ国関係発展をさらに前進させた。
2003年から2006年の間に、矢野外務副大臣、藤崎外務副大臣、小野寺政務官、福島政務官、森元首相、羽田元首相、橋本元首相や、国会議員で編成された代表団などの要人がカザフスタンを来訪している。
ヌルスルタン ナザルバエフ大統領の招聘により、小泉首相は2006年8月28日から29日までカザフスタン共和国を公式訪問した。会談の際には、二国間政治関係と国連を包括的に改革する必要性につき認識を共有し国際場裡(?)に於ける協力関係強化について見解が一致。カザフスタン共和国と日本国との友好、パートナーシップと協力の一層の発展に関する共同声明に両首脳は署名。また、原子力の平和的利用の分野に於ける協力の促進に関する覚書が受理された。
日本では、衆参両院の国会議員により結成されたカザフスタン友好議員連盟が10年以上活動している。(メンバーは37名)2002年2月から2005年8月までの連盟事務局長は橋本元首相。現事務局長は河村元文部科学大臣。2004年カザフスタンの上院で、日本との関係強化を目指すグループが結成、2005年6月にはカザフスタン下院でも上記同様のグループが設立。
両国の国際安全保障に対する見解は近似している。日本側は、カザフスタン共和国が核兵器の不拡散の条約に非核兵器国として加入したこと、カザフスタン主導の中央アジア連合設立を歓迎。日本は、カザフスタンによって提唱され設立されたアジア相互協力信頼醸成会議を支持し、カザフスタンでの選挙の際に監視要員を派遣することを発表。また日本の国連安全保障理事会における常任国入りをカザフスタンがバックアップすることに謝意を表明している。
2005年12月4日のカザフスタン大統領選挙には欧州安全保障協力機構(OSCE)が中心となって編成された4人の選挙監視団が日本から派遣された。
1月11日にカザフスタン共和国の首都アスタナで開催されたナザルバエフ大統領就任式典に町村元外相が特派大使として派遣された。
2006年6月5日から7日に「中央アジア+日本」第二回外相会合が開催され、カザフスタンからはアブドラフマノフ政府特使(外務次官)が出席。今後の具体的な協力の方向性を盛り込んだ「行動計画」に署名が行われた。
2006年9月11日から13日には首都アスタナで、第2回世界・民族宗教会議が開催され、日本の神社本庁から久邇邦昭統理が出席。また久邇統理は、訪問の際、ナザルバエフ大統領と会談。
2006年11月18日から22日には、神社本庁・谷田部総長の招聘によりカザフスタンのアビカエフ上院議長が訪日。扇参議院議長、日本カザフスタン友好議員連盟河村事務局長、神社本庁の久邇統理と面会した。
2006年12月2日から7日、ムハメジャノフ下院議長が訪日し、河野衆議院議長と会談。
2007年5月3日から5日まで中川政調会長を団長とした自民党の代表団がカザフスタンを訪問。トカエフ上院議長や、カザフスタン祖国共和党「ヌル・オタン党」ジュマグロフ幹事長と会談。その際に、両国の議員連盟が活発に活動してゆくための改革案と、二カ国間関係の強化をいかに進めていくかについて話し合われた。代表団のメンバーとして日本カザフスタン友好議員連盟から、河村事務局長、小阪議員、後藤議員も随行。
2007年7月30-31日、ナザルバエフ大統領と、小泉首相の間で交わされた合意実現に向けて日本・カザフスタン外務省間協議がおこなわれ、カザフスタン側からはエルメクバエフ外務次官、日本側からは原田欧州局長が出席した。エルメクバエフ外務次官は小池防衛大臣、谷内外務事務次官と面会した。
貿易・経済協力
日本とカザフスタン共和国の経済協力関係の核をなしているのは、ODAである。日本からカザフスタンへのODA支援額は、総額で1021億円(約10億ドル)で、内、有償資金協力888億円(約8,8億ドル)、技術支援87億円(約8700万ドル)人道支援46億円(約4600万ドル)である。日本政府はカザフスタンに対し低金利、長期償還期間を設けた特恵条件で貸し付けている。国際協力銀行(JBIC)は、以下のODAプロジェクトに資金を拠出している。
鉄道輸送力増強事業
総工費7640万ドルのうち日本から円借款として6000万ドルを供与。受注企業は蝶理株式会社、川崎製鉄、川崎商事。プロジェクトの内容は、ドルージバ、アクトガイ駅間の鉄道通信網施設の近代化工事、アルマティ車両基地に於ける新修理工場の新設および既存設備の改良、アラコル湖沿岸部分の迂回線新設工事、ドルージバ、ベスコール駅間の起動更新工事。2001年12月に工事が完工した。
イルティッシュ川橋梁建設事業
総工費2億3100万ドルのうち1億7500万ドルを円借款で供与されることになった。受注設計会社は「石川島播磨重工」と、「片平エンジニアリング」、施工はトルコ企業の「アラルコ」。工事期間は1998年3月から2000年10月までであった。
アスタナ国際空港改修事業
総工費2億480万ドルのうち円借款は1億7700万ドル。丸紅をはじめとした4社のコンソーシアムが受注企業。
西カザフスタンの道路網改修事業
総工費2億810万ドル、うち、円借款分1億5600万ドル。借款期間は30年で据置期間が10年。西カザフスタンの「アクトゥベ-カラブタク-クスタナイ州の国境付近」「アティラウ-ウラルスク」に伸びる954kmの道路改修に必要な土木工事。
アスタナ上下水道整備事業
総工費2億1570万ドル。円借款は工事費の75%に相当する1億6120万ドル。首都アスタナにおける、既存の上下水道改修・拡充、水道メーターに必要な資機材調達、土木工事、コンサルティングを行う。
カザフ国営企業の「カザフオイル」はJBICとの間で「アティラウ製油所建設」のためバイアーズクレジットの貸付契約に調印。総工費3億880万ドル。1998年5月カザフスタン政府は、アティラウ製油所改修プロジェクトを丸紅と進めていくことで決定した。これにあたり、JBICはプロジェクトにおいて、必要な設備などを丸紅から購入するに当たり必要な資金を供与した。また丸紅もプロジェクト費用の15%を負担。2001年12月JBICはBNPパリバとHSBCと247億9000万円(約2億ドル)の協調融資契約を結んだ。2004年3月、借款内容の変更。借款額を238億1000万円に減額し、融資期限を2005年4月30日から2006年6月30日に、償還期限を2006年6月から2015年12月に延長した。
2004年3月、JBICはカザフスタンの民間銀行「カズコメルツバンク」と「トゥランアレム」向けバンクローン3000万ドルを限度に10年間の期限で融資。
2005年11月21日アスタナでカザフスタン資源エネルギー省の代表と、国営企業「カズアトムプロム」と日本経済産業省のトップ会談で、ウラン開発に関する共同審議がおこなわれた。
2005年11月29日国営企業「カズムナイガス」とJBICは相互理解に関する覚書を締結。これにより投資プロジェクトの融資と実現のための友好的相互協定が結ばれた。
2005年11月30日カザフスタン開発銀行とJBICはグローバルバンクローンに関する覚書を締結。カザフスタン開発銀行向けのグローバルバンクローンの早期供与を実現するために両者間の協議を促進させることを目的に締結。JBICは開発銀行に5000万ドルを低金利で供与。
統計資料は両国貿易取引の前進的な発展を示している。日本貿易復興機構(JETRO)の2006年のデーターによると、二国間の貿易取引高は5億8400万ドルで、内、日本の輸出額は2億5000万ドル、輸入額は3億3400万ドルであった。カザフスタンからの対日本向けの輸出品目は鉄合金、ステンレス、チタン、希少金属等、一方日本からカザフスタンへ輸出される品目は自動車、自動車部品、電子機器、家電等。
貿易経済関係推進のため1993年12月、カザフスタン・日本経済委員会が設立。2006年3月2日第8回経済合同会議がアスタナで開催。カザフスタン側の代表はトカエフ外務大臣、日本代表は、三菱商事の高島最高顧問であった。
2006年9月16日から18日の日程でロシアNIS貿易会(ROTOBO)の高垣会長を団長としたビジネス視察団がカザフスタンを来訪。主な目的は、投資環境の視察、大都市のインフラ開発などの将来的な経済分野の地元各企業との親密な協力関係樹立であった。
2006年10月30日から31日、カザフスタン共和国への投資推進のために来日したシコリニク産業貿易大臣は甘利経済産業大臣と会談。この間、在日大使館主催の「カザフスタン共和国投資プレゼンテーション」が開催された。
また、シコリニク代表団に随行したカザフスタン輸出信用機関は、独立行政法人日本貿易保険との間で、貿易保険及び輸出信用保証の分野における協力協定を締結。
2007年4月4日東京でカザフスタン開発銀行とみずほコーポレート銀行は業務協力協定に合意した。具体的には、相互顧客紹介、国際マーケティングでのシンジケートローン、トレードファイナンス、プロジェクトファイナンス、アセットマネジメント、研修生の受け入れなどを進めていく予定である。
2007年4月19日-20日日本経団連の日本NIS経済委員会は、安西委員長を団長とする総勢42名のミッションをカザフに派遣。来訪の目的は、カザフスタンと日本の経済関係発展のための政策を引き継ぐことと、両国産業界のつながりをより強固なものにすることであった。
2007年4月29日-30日、企業トップを含む100名以上の民間人を同行し甘利経済産業大臣はカザフスタンを訪問。ナザルバエフ大統領をはじめとしたマシモフ首相、イズムハムベトフ・エネルギー鉱物資源大臣、オラズバコフ産業貿易大臣などと会談を行った。原子力分野の具体的契約・合意が目的であった。これらを通じて、原子力平和利用分野における戦略的パートナーシップの強化について合意に達した。
在日カザフスタン共和国大使館は両国の経済関係推進を最重要課題としている。中でも、投資事業実現で得る資本を新規産業の開発や、カザフスタン企業の近代化に特化していくための環境づくりに重点を置いている。このような構想を実現するべくカザフスタン大使は、「丸紅」「伊藤忠」「住友」「東芝」「三菱」などの企業、銀行、政界など様々な分野の日本経済界で活躍する人々との会談を行っている。
エネルギー分野の協力
日本の石油会社は以下のエネルギープロジェクトに参加している。
北カスピ海沖における探鉱・開発事業
1998年8月INPEX北カスピ海石油は鉱区の権益の1/12をカザフスタンの国営石油会社KCS社から取得し、欧米コンソーシアムの一員となった。
地質調査
1999年3月国営会社「カザフオイル」と日本の石油公団は、2002年までの3年間、地質・地形調査を行うことで基本協定を締結。協定に従い、カスピ海北東沿岸地域、マンギスタウ州、アラル海のカザフスタン領土部分の調査を実施し、1999年に1500万ドル、2000年に2500万ドル、2001年に1000万ドルをかけて調査。
新エネルギー・産業技術総合機構(NEDO)は東北電力や日立とともにウラルスク熱電併給所に高効率ガスタービン技術を導入する「省エネモデル事業」を実施した。2002年6月20日相互理解に関する覚書が、カザフスタンの資源エネルギー省、経済産業省と日本のNEDOとの間で交わされた。プロジェクトの総工費は1500万ドル。カザフスタンへ省エネ技術を導入することが、主な狙いであった。工事は成功裏に完工した。その対価としては、京都議定書に定められた温室効果ガスの排出権取引としてカザフスタン政府は日本から年6万2000トンを2008年から2012年まで買い取ることで合意。
2006年1月、カザフスタン共和国の国有原子力会社カザトムプロム社(KAP社)は、関西電力、住友商事と共に、南カザフスタン州スザクスキー地区に於いて、新規にウエスト・ムインクドュック・ウラン鉱床開発を行うことになった。具体的には、KAP社が所有する同鉱床の開発権益を有する合弁会社であるAPPAK社に、住友商事、関西電力が投融資を行う。KAP社、住友商事、関西電力間の出資比率は、各々65%、25%、10%であり、当初所要資金は約1億ドルである。合弁会社は、同鉱床の開発のみならず、ウラン精鉱の生産・販売も行う。ウランは日本市場向けに生産される予定。
2007年4月には、丸紅、東京電力および中部電力は、カザトムプロム社が推進している新規ウラン鉱山開発・生産プロジェクトに参画し、カザトムプロム社が出資するキズルクム社とバイケン‐U社と共に南カザフスタンのハラサン鉱山を新規に開発することになった。
2007年4月、日本貿易保険はカザトムプロム社と協力協定を締結し同社に対する5億ドルの引受枠を設定。この引受はその引受枠を適用する最初の案件となった。
2007年4月30日、甘利経済産業大臣に同行した国家関連機関や原子力産業分野の民間企業の代表は、カザトムプロム社をはじめとするカザフ側機関との間で、ウラン共同開発をはじめとする契約や覚書等、24件の合意文書に一斉に署名した。
人道協力
ナザルバエフ大統領は初の訪日の際、細川首相に、カザフスタンで死去した日本人戦争捕虜達の「記憶の書」を贈呈した。
1999年1月、NHK出版から「記憶の書」とカザフスタンの国家長期開発計画「カザフスタン2030年戦略」が出版された。
日本政府は、カザフスタンに国際協力機構(JICA)を通じて無償資金協力や日本外務省を通じて50万ドルの文化無償資金協力を行っている。文化無償資金協力の具体的内容は以下のとおり-1994年、アルマティ国立大学に対する語学学習機材提供。1995年、 国立オペラバレエ劇場に対する楽器供与。1996年、メデオスケートリンクに対する氷面整備機材提供。1997年、カザフスタン国立外国語大学に対する日本語学習機材提供。1998年、国立カザフ大学に対する日本語学習機材提供。1999年、アルマティ国立高等音楽院に対する楽器供与・2000年、国立音楽アカデミーへの楽器供与。2004年、共和国宮殿への音響機材供与。そして2005年、A・V・セレズニョフ記念アルマティ・バレエ専門学校に対する教育機材供与。
1999年9月、日本政府と国連は、「セミパラチンスク元核実験場」に関する国際会議を東京で開催した。2000年春、日本政府はセミパラチンスク地域医療機材整備のために6億4800万円(約600万ドル)の無償資金協力を実施。
1998年3月よりカザフスタン国内の核実験による国民の健康被害を共同調査している。
2000年12月、東京都の多摩動物公園にカザフスタン共和国からユキヒョウが贈呈されたのを受けて、河野外務大臣は日本国民を代表して謝意を表明した。現在、贈呈されたユキヒョウの「シンギス」は多くの子孫を残している。
2006年8月の小泉首相来訪の際、アルガリ(中央アジアに生息する野生の山羊)を2匹贈呈する約束を交わした。
2002年7月アスタナ市救急医療センター整備のために日本政府は4億5400万円を無償支援協力の一環として拠出。
日本のスポンサー招待により、カザフスタンのアーティスト達が日本公演を行っている。
2005年3月から9月に開催された愛知万博ではカザフスタンの展示のための技術協力を日本側から受けた。
2006年8月29日、核実験場閉鎖を記念して、長崎市とセミパラチンスクを衛星テレビ中継した。放映の際、長崎市長が出演。テレビ中継の前にはセミパラチンスクの核実験と広島・長崎の原爆で命を落とした被害者への黙祷がささげられた。また7年前にも同様のテレビ中継が行われている。
2006年10月26日、東京の「墨田トリフォニホール」で、カザフスタン屈指のバイオリニストビセンガリエフ氏率いる西カザフスタンフィルハーモニー交響楽団の日本公演「トレップ」が行われた。
2006年12月日本政府は国連と共に「セミパラチンスク元核実験場付近住民の安全性拡大」プロジェクトに対する200万ドルの支援金を決定。
2007年6月29日、在日カザフスタン共和国大使館は、A・V・セレズニョフ記念アルマティ・バレエ専門学校の東京公演を主催。
2007年8月9日、在日カザフスタン共和国カマルディノフ大使と長崎市田上市長は会談の際、長崎原爆死没者追悼記念館に、核拡散防止を願うカザフスタン展示室を設立することで合意した。
条約・法的基盤
カザフスタン共和国と日本国の法的基盤は、1992年1月26日の外交関係の樹立、1994年4月7日、1999年12月6日、2006年8月28日の首脳会談の際に交わされた共同声明と、2002年12月6日両国外務大臣の間で交わされた共同声明である。両国はお互いの主権と独立を承認し、相互尊敬と国際法の遵守を基本として二カ国間関係を発展してゆく意向である。2006年12月にナザルバエフ大統領と小泉首相の間に交わされた共同声明の中で、双方は、二カ国間関係強化への確信、戦略的パートナーシップの進展、そして、カザフスタンの社会・経済改革の日本の支持を表明。
1994年3月、両国はカザフスタンにある核兵器廃棄の協力に関する協定に署名した。同年9月には、核拡散防止に関連して、核物質管理制度確立支援のための実施協定に署名した。
1994年4月、カザフスタン副首相と日本外務大臣の間で、日本とソ連が締結した条約を適用することが確認。中でも、1957年12月6日に日ソ間で締結された貿易条約は最恵国待遇が与えられていることから効力を存続させることになった。また1965年に交わされた査証発行手数料の無料化を定めた協定も適用となった。
外交関係樹立と同時にカザフスタン共和国とJBICは一連の融資協定を結んだ。カザフスタンの改革実施と、予算の赤字払拭を目的に締結。
・1994年4月、日本輸出入銀行(国際通貨基金が共同融資)との188億円融資協定を締結。
・同年4月に日本輸出入銀行(国際復興開発銀行が共同融資)との97億円の借款契約締結。
・1995年9月日本輸出入銀行(国際通貨基金が共同融資)との97億2000万円の融資協定締結。
・同年9月に日本輸出入銀行(国際通貨基金が共同融資)との68億4000万円の借款契約締結。
ODAによる円借款プロジェクトは以下のとおり。
・鉄道輸送力増強事業(1995年12月5日、借款契約額72億円、金利3%、償還期間25年、据置期間7年。)
・イルティッシュ川橋梁建設事業(1997年3月12日、借款契約額215億円、金利2,7%、償還期間30年、据置期間10年。)
・アスタナ空港改修事業(1998年12月24日、借款契約額221億円、金利2,2%、償還期間30年、据置期間10年。)
・西カザフスタン道路改修事業(2000年12月21日、借款契約額165億円、金利2,2%、償還期間30年、据置期間10年。)
・アスタナ下水道整備事業(2003年7月8日、借款契約額214億円、金利2,2%、償還期間30年、据置期間10年。)
2004年8月27日、川口外務大臣のカザフスタン公式訪問の際に、カザフスタン側は、経済改革の実施及び重要な社会・経済インフラ・プロジェクトの実施に当たっての日本のODAによる支援に謝意を表明した。この文脈で、双方は、両国間の円滑で効率的な技術協力を実施するための包括的な法的枠組みを提供する技術協力協定が署名されたことを歓迎した。
2005年11月23日アスタナで、アイトジャノバ産業貿易大臣と、伊藤在カザフ日本大使は、カザフスタン共和国のWTO加盟に関し、物品及びサービスの両市場アクセス分野において二国間交渉終了の議定書を締結した。
2007年より日本側はカザフスタン財務省による二重課税防止条約締結案を検討中。同条約は、日ソ間で以前結ばれていた。また同年9月に日本側は、二重課税防止条約締結案に前向きな姿勢を表明。
カザフスタン財務省は日本政府との間に課税問題の情報交換に関する協定締結を提案中。
現在、在日カザフスタン共和国大使館は原子力の平和利用と、投資の相互保護の政府間協定締結を目指している。
2007年6月13日、アスタナで第一回カザフスタン原子力協力協定締結交渉が行われた。日本側交渉団長として中根外務省軍縮不拡散・科学部長、カザフスタン側は、ジャンティキン原子力委員会委員長が出席。日本政府は、カザフスタン国内の原子力施設の安全性の充実化のために、協定の枠組みで5億円(450万ドル)を割り当てる決定を下した。
カザフスタンと日本間の航空協定署名は、カザフスタンの輸送能力の強化、日本企業のカザフスタン進出の促進、観光客の誘致のために重要な案件である。在日大使館は、航空会社とカザフスタン運輸交通省と共に、協定締結に向けて総力を挙げて取組んでいる。
以上、二カ国間の条約・法的基盤の今後の課題を総括すると、二重課税防止条約の締結、原子力の平和利用と投資の相互保護に関する政府間協定の締結、そして教育・文化・科学・技術・環境・人道分野での協定締結が挙げられる。
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